石井一久、木佐彩子夫妻 結婚24年目の現在と息子幹大くんへの想い

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看板女子アナ木佐彩子と野球選手の結婚

こんにちは!Niwa no kotoriです。

元メジャーリーガーの石井一久さん看板女子アナだった木佐彩子さんの結婚。いつからか、野球選手と女子アナの結婚報道が多くなりましたが、おふたりは今年結婚24年目を迎えます。夫婦円満が長く続く理由や、息子幹大くんの現在の様子を調べてみました。

元メジャーリーガー石井一久のプロフィール

メジャーリーグにも挑戦した石井一久

1973年9月9日生まれ(51歳)千葉県千葉市出身 幼い頃からサッカー経験が豊富で、身内にヤクルトスワローズOBがいたことから、ヤクルトには親しみがあったが、野球選手には興味がなかったと語っています。

たまたま打者として参加したときに、本塁打を打ってしまったことから、注目を浴びるようになり、高校を卒業したら辞めようと思っていたのが、スカウトが沢山きたから、ヤクルトスワローズに入団することになったそうです。

メジャーリーグへの挑戦として、2002年~ロサンゼルス・ドジャースと契約、2005年にはニューヨーク・メッツへ移籍しています。

その後日本へ帰国、2006年にヤクルトへ復帰し、後に西部ライオンズで5年間活躍して引退発表しています。

引退後は吉本興業スポーツ部に所属し、野球解説者、野球評論家として活躍し、2021年~2023年まで、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めました。引用元:ウイキペディア

看板女子アナだった木佐彩子のプロフィール

1972年5月26日生まれ(52歳)東京都出身、海外転勤の多い父親とともに、小学2年生からアメリカ・ロサンゼルスで7年間過ごした帰国子女です。

子供時代、アメリカの女性ニュースキャスターである、コニー・チャンに憧れていたことや、英語が堪能だったことが、その後の進路に影響しています。

帰国後は、青山学院高等部へ入学、その後青山学院大学英米文学科へ進学し、語学学校にも通い、通訳のアルバイトをしていたそうです。

また、在学中にテレビ朝日系のニュースステーションなどに、キャスター、リポーターとして出演を果たし、卒業後はフジテレビへ入社しています。

2000年に石井一久さんと結婚後は、家に帰って晩ごはんが作れるようにと、夕方の報道番組に担当を移し、石井一久さんのメジャー移籍とともに、フジテレビを退社します。

その後は、英語力を生かして、石井一久さんをサポート、またフリーアナウンサーとして、2006年~本格的に復帰しています。引用元:ウイキペディア

ふたりの馴れ初め~結婚にいたるまで

ヤクルトスワローズ時代の石井一久さんと、フジテレビの女子アナでプロ野球ニュースのキャスターだった木佐彩子さんの出会いは必然だったようです。

元フジの看板・木佐彩子アナ「私が野球選手の妻になるまで」
女子アナと野球選手が結婚するケースは多いが、実際のところどんな経緯で交際から結婚にまで至るのだろうか。1994年にフジテレビ入社、『プロ野球ニュース』のキャスターとして人気を博した…

木佐彩子さんは、付き合うなら結婚すると腹を括っていたと語っていますし、石井一久さんもまた、女性自身の2015年のインタビューで、「僕は、彩と出会って『この人なら一生一緒にいられる』と。そういう女性って一生に一人ぐらいしか現れないと思った。その気持ちはずっと変わってないね。」と語っています。引用元:女性自身

石井一久、木佐彩子夫妻の豪邸と息子の現在

自宅は港区の豪邸?

石井一久さん、木佐彩子さんの自宅はテレビで紹介されました。
たしか、日本テレビの火曜サプライズという番組だったと思いますが、港区の90坪の豪邸と紹介されていたと思います。

ガレージには、白いロールスロイスがあり、40帖のリビングをはじめ、3部屋のストックルームがありました。

港区ということでしたが、現在この豪邸は解体されている?らしく、新しい自宅の情報は探せませんでした。

一人息子幹大君の現在

石井一久さん、木佐彩子は2000年3月に結婚、2001年12月には長男・幹大くんが生まれています。

一人息子の幹大くんは、初孫だったため、おばあちゃんにとても可愛がられ、おばあちゃん子だったようです。そのおばあちゃんと最後のお別れのとき、悲しくて泣いてしまったのですが、翌日1人で会いに行き、「一生、生きて生ける言葉をもらった」と、言ったのだそうです。

木佐彩子アナ、楽天・石井一久監督との長男の写真公開「イケメン」「竹内涼真さんに似てる」 - スポーツ報知
元フジテレビでフリーの木佐彩子アナウンサーが25日、自身のインスタグラムを更新し、長男の写真を公開した。

写真からも優しい幹大君の雰囲気が伝わってきますね。

最後に

サバイバル体験は壁を乗り越えた先に楽しさが待っている!!

おふたりの会話は、どちらも互いが必要な存在であると、分かっていたかのようで、とても気の合う感じがいいなぁと、羨ましく思ってしまいました。
皆さんもふたりの出会いは必然だったと感じませんか?

また、木佐彩子さんは、小学2年生でアメリカ・ロサンゼルスへ行き、アルファベットも知らないままで、学校生活をした経験を、幼少期のサバイバル体験と呼んでいて、とても辛かったと語っています。

この体験から、”大きな壁を乗り越えた先に、楽しさが待っている” のギフトを息子へのこしてあげたいと、甘やかさず自立させることを、意識した子育てをされていて、息子への強い愛情を感じます。

これからもご夫婦と幹大君の幸せな生活は長く続いていくのでしょうね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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